注連飾りの自作 ― 2015年12月28日

 2015年12月27日、同じ千倉への移住組の友人からお誘いの電話がありました。
「今年も注連飾りを作るので一緒に作ろう。材料も用意してあるから。」とのこと。
それなら楽チンそうだと思い友人宅へ。

 生まれて初めての注連飾りの自作でしたが、できあがった形が、横綱土俵入りの化粧回しに似てるなーと思いました。
 材料はほとんど稲わらです。ネット情報によると麻でも作ったそうです。
 3本の縄を作り、撚り合わせて1本の縄にすればほとんど完成です。稲わら1本はすぐに折れたり切れたりしますが、撚り合わせることで不思議なことに何倍もの力を生じます。
 この不思議な力が、注連縄、注連飾りの根本だと思います。

 約2時間ほどで完成。これに神様と人間界の境をあらわすヒラヒラと縁起物をくっつけます。


 友人宅へはスクーターできたので、自宅までどうやって持って帰ろうか?
ダイダイは針金で固定したので、ほかの縁起物をはずして背中にしょって帰る事にしました。
 恥と外聞は20年ほど前に捨て去っているので(ほとんど)、背中にしょってスクーター走らせても問題ありません。
 それに、この注連飾りは人の形にも似てるので、あの、小悪魔のささやきのような不思議な波長の声色をもつダンミツをおんぶしてると思えば快感さえあります。

余談:人の声の形容で「鈴をころがすような声」というのがありますが、30数年前台北のホテルのロビーの後ろの席の女性の声がそうでした。また、がっかりしたときに「肩を落とす」という形容がありますが、うちの次女は、ほんとうに肩が落ちます。



 29日、331日は避けて設置するように友人に言われているので、今日玄関に付けます。


小字の下は? ― 2015年10月21日

 「東京都北多摩郡国分寺町野中新田六左衛門組高木北側」というのが、少年期住んでいた住所名です。社会科の参考書に日本一長い住所として紹介されていました。
 どこまでが大字で小字なのか分かりませんが、江戸時代中期からの呼称のようです。

 小学6年のときに、港区から引っ越してきたのですが、まわりは一面麦畑と芝畑でした。5月初旬、ひばりが空の高いとこでピーチクパーチク、のどかな地域でした。西の方角を見ると雑木林の横に富士山が大きく見えてました。

 ヒバリは巣に戻るときは、だいぶ離れたとこに着地して用心深く進み、決して巣を見つけられないようにするそうです。府中に住む友人は子供の頃、多摩川の河原でこのヒバリの巣を見つけによく行ったそうです。

 
 広い芝畑は我々の野球グランドには最適で、ホームへの滑り込みなど自由自在。
 ただし、ここは商品用の芝を育成してるわけですから、見つかると大変なことになります。しかし、芝農家のおやじさんの見回りのスケジュールを熟知してるので、めったに見つかることはありません。なにしろ、三塁手のおやじさんですから。

 当地に住み始めてから聞き慣れない言葉を耳にしました。それは、アサヒバタケということばでした。まわりは小高い山に囲まれた場所ですが、ちょうどアサヒバタケと呼ばれる場所は朝日がよく当たります。

 ほかにも、そのような呼び名のつく場所はあるのか尋ねたら、ずいぶんとあるようでした。
これらの通称地名は、小字のなかのごく狭い場所です。
 小字名は、役場の記録にも残るでしょうが、この狭い地域を表す通称名は、今記録しておかないとじきに消滅するだろうと思われます。
 そこで、当集落の人と共同で記録することになった結果がこの俵です。

 「サオ」「ザオ」とかがつく地名がありますが、意味は、山と山の間の低地のようで、「サワ(沢)」と同じと思われます。多くは水田となっています。


 じつは、千倉町役場で数年前に見せてもらったのが、町の北東部を中心に、同じように作られた表でした。しかし、場所の説明が、(タロベーの畑の下)とかなので、その畑の場所を知ってる人にしかわかりません。やっぱり、地図上にその場所を書き込む必要があると感じていました。

 そこで、当地区の通称地名表は地図上にその場所を明記することにしました。

通称名と小字名

 
 今ではこの通称地名を知っているのは当該地区に長く住む年輩の方だけです。
今回作ったのは私の住む地区が主ですが、できれば範囲を広げていきたいと思います。

見つけたー!GT9400ネガフォルダー ― 2015年10月18日


ようやく見つけたGT9400用フォルダー

 見つけました!家族写真大整理のためのネガスキャン用フォルダー(GT9400用)。
 なにもかもを投げ込んでいた棚の整理中にです。
 自分でも、棚になにがあるか覚えておけなくなった(老化現象)ので、一目でなにがあるのかわかるようにしたほうがいいと思い立ったのです。
 1年ぶりに見つけたときのうれしさは大です。

 実は、これが見つけてもなかったので、ボール紙で自作しました。記憶とネットからの情報で作りました。ボール紙3枚を重ねてネガが入る部分をくりぬいて。しかし、何回かスキャンを重ねるうちに、ネガが当たる部分が毛羽立ち、その毛羽立ちも画像に取り込まれてしまい、ボール紙フォルダー使用はあきらめ、ネガのスキャン自体も中断していました。

 やはり、純正フォルダーはうまくできていて、毛羽立ちの心配もありません。
家族写真のネガのスキャンも順調です。
 これがまたどこかへいってしまったらこまるので、備忘録も兼ねて寸法を記録しました。
厚み1mm弱のA4プラスチック板3枚で作れそうです。

ネガフォルダーGT9400

 35mmのネガフィルムを写真のところから左右の溝に滑り込ませます。

 写真の寸法ではネガフィルムの幅が34mmですが、実際製作の場合は左右の溝の間隔は35mmを確保します。2本のネガの分離帯寄りに1mmプラスです。35mmネガフィルムの幅は、本当に35mmです。
 また、フォルダーの厚みは2.5mmです。

ネガ挿入の溝

稲刈り最中_2015年9月 ― 2015年09月20日


稲刈り大型機械

 2015年9月、当地でも稲刈が行われています。
県道を走っていても、この大きな機械をよく目にします。
形態からみて、稲刈から脱穀までいっきにしてしまうのでは、と思われます。
 そこで、こに機械の持ち主に、米作り全般についても含めてインタビューしました。

● まず、1反(約300坪)あたりの収量は?
 -たんぼの条件によるが、だいたい8俵前後(1俵=60キロ、玄米で480キロ)。
● 機械なしで田植え、稲刈する場合の田んぼの面積の限度は?
 -5反くらいまでならできる。田植えのときには手伝いの人出が必要になるけど。
● 機械のローン、苗の育成、肥料などの費用を考えれば、米は買った方が安くつくと思うけど?機械が故障すれば修理費が数十万円でしょ?
 -田んぼを休ますわけにはいかないので、作っている。

 今年の場合、稲刈り直前の雨天の連続で稲が倒れてしまい、機械の能力が発揮できず、手刈りとなった。田んぼもぬかるみ、機械の搬入ができない日が続いた。なおかつ、当事者はサラリーマンだから刈り入れの時間確保が制限される。
 このように、米作りは、かずある難関をクリアーしなければ成功しないようです。

 
 自分の家族が食べるぶんの米はは自分で作りたいと思って、なんとか田んぼを確保しても(農地法のしばりがあるので簡単ではない。)、水の確保がむずかしいことが多い。
 現実的には、水の確保ができている田んぼを使わせてもらうということになると思う。
 ただ、この場合、田んぼの所有者から、返してほしいと言われれば返さなければならない。
 本当に必要となるときには米が作れないことになる可能性がある。

 パン、麺類なども食べる現在、米の消費量は自分の体重分が1年の消費量らしい。1日3食米を食べるとすれば、1人あたり年間100キロとして4人家族で400キロ。必要な田んぼは1反で可能。
 不作の年を考慮すれば、少なくとも1年分くらいは常に予備として確保しておく必要もある。

 ■サラリーマン家庭から当地の農家に嫁入りした知り合いが、「毎年おいしい新米が食べれると楽しみだったけど、来てみたら新米の収穫後はまず、去年の古米を消費せねばならず、古米を食べ終わったころは、すでに新米が古米になっている。嫁に来て25年、新米を食べたことない!」と嘆いていました。
 そこまでしなくても、収穫した新米に古米を混ぜて食べている、という知り合いもいます。

 湧き水など水が確保できる雑種地、山林を購入して、田んぼに開墾するのが正攻法か。
この場合の開墾費用は不明だけど、かなりの手間と費用を要するだろう。
 あるいは、米をあきらめ、主食となりえるジャガイモを栽培するか。

 何年か前いまごろ、昔の尾根の路を探検中、道に迷い山の反対側の集落に下りてしまった。みちばたに腰をおろして収穫後の田んぼを眺めているおじいさんが、「なんとか今年も収穫が終わったよ。これで、子供のとこにも米を送れそうだ。ホッとしたよ。」と言ってました。そのホッとしたおじいさんの顔を見ながら、2000年以上続く米作りと人との関わりの強さを実感しました。

たまにはのんびり骨休め ― 2015年08月15日

 お盆休みが始まっている今週、のんびり気分を味わおうと、南千倉海水浴場にまた行ってきました。だいたい午前8時前から今年の夏は暑くなり始めます。

 クーラーつけて家で高校野球観戦というのもすこしじじくさい、と思ってようやく故障から復帰した愛車マグザムに折りたたみ椅子を載せて。退屈したとき用に「大江戸生活事情」石川英輔をポケットに。

 遠くに家族連れの海水浴客をのぞみ、ではさっそく読書。 やや!紙面が真夏の光を反射して目がチカチカする。
 さっそく、屋根のある休憩所に避難。浜風に吹かれながら読書の続きを。

Minamichikura

 やっぱり、日陰のほうが目がらくだなー。
 でも、海との一体感が薄れる気がするので、次回はビーチパラソルも載せてこよう。

休憩所

 愛車のマグザム。このスクーターで南房総を走り回り現住の地を見つけたんだな。
長狭街道の北と南では風景、雰囲気がどこか違う、ということに気がついたのもこの時です。後年、知り合いになった、房総をよく走るライダーも同じことを言ってました。

 ある冬、現住家屋の水道工事の立会いに早朝府中街道を走ってるさいちゅう、あまりの寒さに体がおかしくなりました。がまんの限界がアクアライン。「海ほたる」での暖かいコーヒーで生き返り、房総の山並みをながめて、「あそこが終の棲家になるのかなー」と思ったものでした。
 寒さといえば、高校生だった春休み。自転車旅行を企てて東京多摩の自宅を出発、快調でしたが、碓氷峠麓あたりから吹雪になり始め、セーター1枚だったからもう凍死と覚悟をした時トラックが止まってくれて峠の上まで運んでくれました。そこの食堂のおばさんが、「あんた、唇が紫色になってるよ。」言ってすぐに出してくれた熱いお茶で生き返りました。

 当時多摩地区も冬はかなり寒くて、学校に着いても指がかじかんでいて手提げカバンから手が離れませんでした。国分寺第三中学校です。

愛車マグザム

鉄砲ゆりの栽培 ― 2015年08月07日

 当地、南房総千倉の内陸部では白百合(鉄砲ゆり)が咲きそろっています。
道路横の土手に群生しています。
 あまり花が咲かない真夏の緑のなかに、ひときわその白さが目立ちます。


 同じ集落の知り合いと、この「ゆり」の話をしていたら、昔は集落の何軒かはゆりの栽培をしていて、じぶんの家も栽培していたとのこと。戦前のことらしい。

 今土手に咲いている「ゆり」はその名残なのかな?と尋ねると、どうも今咲いている「白百合」ではないらしい。なんとか特定したいなー、とねばっていると、「そういえば百合のことが書いてあるのがある」というので、裏の建物の壁にかけてある木版の写真を。


 第一号
 黒軸鉄砲百合
 壱反壱畝歩
 五寸木子

 とあり、そのあとに所在地、氏名が記されている。「山にウ」の字は屋号か? 木版に墨で書かれている。

 栽培していたのが「黒軸鉄砲百合」、栽培面積が1反1畝、5寸木子がわからない。
黒軸鉄砲百合は、当地で今咲いているような茎が緑色でなく、茶色っぽいとのこと。
木子というのは、球根の上にできる小さな球根のようなもので、これを新潟方面の業者がもってきて、当地で大きい球根に育てて、またその業者に渡すというシステムだったとのこと。 しかし「5寸」(約15センチ)というのがわかりません。
 栽培の場所は、集落の小高い山に登る途中の畑を使ったそうです。
 しかし、この墨書きの木版は許可証なのか、登録証なのか不明です。

 この栽培収入で、子どもをりっぱに育て上げたという話も聞いたことがあります。
そのほかに、換金作物として水仙、たばこを栽培したとのことです。たばこの乾燥小屋が最近まで数軒ありましたが、今では取り壊されて見ることができません。

 また、鉄パイプ出現前には農業用ハウスの骨組みとしての竹がありました。房州うちわの骨財として、今でも当地の竹は使われています。

南房総豊岡海水浴場 -2015- ― 2015年08月03日

 先週の平日、久しぶりに「豊岡海水浴場」を覗いてきました。
以前のレポートでベスト3に入れた海水浴場です。

 ここは売店、トイレなども完備していて家族連れで行くのに最適です。
砂浜に続いて磯場もあるので、潮が引いているときは、小魚、かになども遊びの対象です。
砂浜、磯とも、こじんまりとしているので、目が届きやすいです。。

Toyooka2

Toyooka1

売店

 のんびり、静かで、いい雰囲気なのは前回と変わりありません。
私が行ったとき(金曜の昼前後)、駐車場(無料)は空きがありました。
 歩いたことはありませんが、「JR富浦駅」から徒歩15分とのこと。





 「多々良西海水浴場」 ここも久しぶりに行って来ました。トイレだけはありますが、そのほかはありません。ただ、吹き抜けの休憩小屋があり、ありがたいです。地図には海水浴場の名がついてますが、現在は公認された海水浴場ではないようです。
 しかし、「ほとんどプライベートビーチ」です。


 くそ暑い内陸から、クーラーバッグに冷えた缶ビール、柔らかいイカ(歯が弱っているので)のつまみ、日よけのターフとビーチベッド。砂浜に寝ころぶより、ビーチベッドのほうが背中に風が通るので快適です。

 それと、読みかけの文庫版時代小説と、途中のコンビニで買った海苔が別になったおにぎりがあれば、一日中、心地よい風にふかれて最高でーす。

 
Tatara


千倉海水浴場2カ所-2015夏 ― 2015年07月27日

 家に茨城県の大洗海水浴場で写した写真がある。8才くらいの時のもの。家族で行った数少ない行楽の記録である。
 ちいさいころの海水浴場の記憶はけっこう強く残るもののようです。

 
 わが千倉町の海水浴場の様子を覗いてきました。
瀬戸浜海水浴場、南千倉海水浴場の2カ所です。
 だいたい、いつ行っても家族連れがほとんどということは知ってるのですが、もしかして、ビーチギャルを見れるかも、という期待も、もちろん多少は秘めて。

瀬戸浜海水浴場
 瀬戸浜海水浴場、浜ではおばさんと子供がはしゃいでいました。では、次。

南千倉海水浴場
 南千倉海水浴場。瀬戸浜からバイクで5分ほど。ココも、同じようでした。

 家族連れが多いのは、今日が月曜だからかな。

 南千倉の駐車場はけっこう車が多いのはサーファーが来てるからかも。
瀬戸浜の駐車場は、「ホテル千倉」の南角から入る細い道の先にある駐車場は2割程度の車。もちろん無料です。だいたい、南房総は基本的には海水浴場用駐車場は無料です。
湘南海岸のように基本的に有料、駐車するのに一苦労ということがありません。
 砂浜の砂は、サラサラです。海水もきれいです。それに真東をたどっていけば「サンフランシスコ」と「ロサンゼルス」のなかほどにぶちあたることができます。

 ビーチギャルとの遭遇がまったくなかったので、「瀬戸浜」と「南千倉」の違いでもみつけてやろう、と貸し出し料金の比較を。

 上は、「瀬戸浜」にある海の家2軒のうちの1軒。
 下は、「南千倉」にたくさんあるうちの1軒。
こういう料金は全部同じかと思っていたけど、微妙に違いがあるもんですね。

 千倉の海水浴場に来ると、ほとんど「プライベートビーチ気分を」を味わえます。
もちろん、両浴場とも、公設の無料シャワー、トイレが完備しています。

千倉 インターネット等環境 -最終版 ― 2015年06月26日

 上京するのに2時間半ほど、一番近いコンビニまで4キロ、一番近い町らしい町まで8キロ、一番近いJRの駅まで山を越えて5キロ、地デジの電波は山に遮られて入って来ない、ケイタイの電波は微妙というところに住んでいます。
 こういうところこそ、インターネットにつながるということは重要です。

 当初は思ってもなかったインターネットの使い方は、離ればなれになってしまった家族とのやりとりです。メール、スカイプ、LINEを用います。当方はパソコンですが相手はスマートフォンです。
 次は配達される新聞の代わりとしてです。世の中の情報はインターネットで仕入れます。テレビ、新聞の情報より早く、的確です。原発の爆発以降は特に強く感じます。
 その次は辞典の代わりとしてです。一昔前は平凡社の大百科事典を揃えることを目指したものです。それがDVD版になったときは価格がそれほど安くならなかったので残念な気持ちでした。
 最後は、買い物です。ネットショッピングです。もちろん、実際に店に足を運んで買うものも多くありますが。

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 当地での私のインターネット環境など、現況をリポートします。
 加入しているのは「ASAHINET光」です。南房総市は全域でNTTの光ケーブルが使用できます。本日現在、回線はNTTのみでAUは使えないようです。
 この回線で「光電話」と「フレッツテレビ」も利用しています。
 従来のNTT電話は「休止」状態です。休止状態なので電話ケーブルがそのまま庭を横切ってます。周辺の田んぼの借り入れが終わるころは、この電話線はトンボたちの休憩場所になることは変わりがありません。

 テレビですが、住み始めたころから紆余曲折がありましたが、現在はインターネット回線を使ったフレッツテレビで受信です。地デジとBS、CSが受信できます。
 隣家は、インターネット回線をつないでないので、この場合は地デジ用アンテナで勝浦方面からの電波をキャッチします。スカイツリーからの電波は届いてないようです。
 また、当家を含めた10軒前後のエリアは難視聴区域となっていて、アンテナは裏山に設置、長い同軸ケーブルで家までつなげている家もあります。

中央の白く見えるのがアンテナ

 このような地域に移住を予定している場合は、インターネットへの接続、テレビの受信方法、費用などについて事前に調査が必要です。南房総市内でフレッツテレビに加入すればテレビの受信自体は月数百円の出費で納まりますが。

 携帯電話はドコモケイタイが当家屋内の半分ほどで使用可能です。子供たちの使用しているAUとドコモのスマートフォンは問題なく使えます。しかし、電波を拾うのに微妙な地域であることはまちがいありません。
 8年前からのインターネット、テレビ受信の経緯は下記サイトの「日常生活の探検」にリポートがあります。
 http://www.asahi-net.or.jp/~dz8m-kwd/index.htm


あの時計が -続 ― 2015年06月20日

 電池到着待ちだった思い出の腕時計。
「ゆうメール」便で届きました。使用期限は2018年1月。納品書も入ってましたが、「物」が「ゆうメール」で送れるとは知りませんでした。昔の冊子小包ですよね。

 クロネコDM便より早く届くようです。今まで経験した最速は、「ヨドバシCom」と「ゆうパック」のコンビでした。前日の夜注文で、昼過ぎに届きました。昼夜問わずの仕事でなりたっている速さと思いますが、利用者にとってはありがたいです。

届いたSR626SW

 さっそく、裏蓋を「コジアケ」で開いて電池交換。


 今回は3個の交換となりました。増えたのは、子供たちが誕生日にプレゼントしてくれた「探検用時計?」。これもSR626SWなのでした。

 予想どおりに3個とも動き始めました。あ-よかったー。24時間ほどたってチェックしましたが正確に時を刻んでいます。

 電池交換した時計を常に使うことはないですが、駆動系部分を動かしておかないと故障しやすくなるので、電池交換はその時計をつかわなくてもしておいたほうがいいと思います。


思い出の時計