2017夏、南房総の海水浴場2017年07月22日

 2017年7月18日19日、もっとも近い海水浴場3ヶ所をのぞいてきました。
南房総千倉の、「瀬戸浜海水浴場」「南朝夷海水浴場」と白浜町「塩浦海水浴場」。
瀬戸浜と南朝夷の海水浴場は、間の遊泳禁止エリアを挟んで隣接してます。

 まだ子供たちが夏休みにはいってないからか、どこもプライベートビーチ状態です。
のんびりしています。
 隣接の無料駐車場もがらがらです。
 私の知る限り、南房総の海水浴場の駐車場は無料です。

塩浦海水浴場は、まだ売店は営業を開始してないようでした。
 そこで、例年のとおりに、料金チェックします。

貸し物料金


南朝夷海水浴場2



 パラソル、サマーベッドなどは、どこも2000円(1日)ほどです。
近くのホームセンター(コメリ)とかヤックスで買っても、ほぼおなじ料金です。
 売店の飲食料金ですが、お祭りとか海水浴場の飲食料金は高い、という印象をもってます。でも、ゆったり、開放感も含めた料金と思えば妥当な料金なのでしょう。
 瀬戸浜海水浴場の、ある売店の料金表です。
クリックで拡大できます。

売店メニュ料金表


 トイレ、シャワーは、3ヶ所とも完備してます。
無料です。
 瀬戸浜、南朝夷、塩浦の各トイレ・シャワーです。

瀬戸浜海水浴場、トイレ・シャワー

南朝夷海水浴場、トイレ・シャワー

塩浦海水浴場、トイレ・シャワー

 下の写真は、上から、瀬戸浜、南朝夷、塩浦の各海水浴場です。
ゆったりできます。
砂はサラサラです。
でも、日中は、熱くて足の裏が焼けます。

瀬戸浜海水浴場

南朝夷海水浴場

塩浦海水浴場



もっともシンプルな郵便受け2016年09月21日

 10年ほど前に国分寺のJマートで買った郵便受けが老朽化して、雨が郵便物をぬらすようになった。
 それだけではなく、夏はアリの巣窟となることもある。
開閉する蓋は、暑さ寒さの繰り返しででこぼこになり、雨がたまる。

 やっぱりこのへんで新しい郵便受けにしよう!と思い始めて1ヶ月。
ネットで調べると、けっこう高いものだと気づいたので自作に決定。

 製作の手間を極力少なく、費用も極力少なく、と頭のなかで設計図を書いては消し、書いては消しの繰り返し。

 可能な限りの単純化を実現すべく、取っ手をつけた扉を開け閉めする、写真のような形に決定。板を縦横に配置してボンド、ネジで固定するとかなり頑丈そうな構造となりました。

 内部の寸法は、間口が14cm、高さが27cm、奥行きが36cmで、A4の封筒が余裕をもって入ります。

 ただ、扉と、横板の真ん中の板の固定が弱いと思われるので写真のような補強をしました。







 
 材料は、1×4(ワンバイフォー)6フィートを3枚。
その他に蝶番2個、取っ手、ネジ、ボンド、透明防腐剤。

 買ったのは、1×4の6フィートが1枚220円、3枚で660円。
蝶番が2個で150円ほど。ボンドが200円くらい。合計で1000円くらいです。

 その他は、家にあった物を使用。なんといっても、取っ手は40年以上前の物、青森県を走っていた国鉄バスの点検用扉に付いていた物です。何年か前に義父からもらったのですが、ようやく出番がまわってきました。
 毎日、散歩で前を通る隣の集落のおばあちゃんが、「かっこいい取っ手だね。」とほめてくれました。

 意外に手間取ったのが、「郵便受け」自体の固定でした。家にあった2×4材をネジ止めして下のブロックにロープで。
 でもなんだかかっこわるいなー。他の方法を検討中です。
 また、風で扉が開かないように、マグネットシートを貼り付けました。

 台風の近づく日に設置、設置後のかなりの雨でも内部に侵入はなく、これで完成です。

(参考) 1×4(ワンバイフォー)6フィートの部材とり
36cm×5枚(180cm)→横板
36cm×1枚→横板 18cm×4枚→底板 24cm×3枚(180cm)→天井板
24cm×2枚→天井板 31cm×4枚(172cm)→扉、奥の板

瀬戸浜、南千倉海水浴場2016年8月15日2016年08月15日

 2016年8月15日、リオオリンピックのボルト金メダルを見たあと、わが千倉町の2つの海水浴場を見に行ってきました。
 もちろん、走って見に行ったわけではありません。

 太平洋を北に走っている台風の影響なのか、比較的乾いた空気。最初は、瀬戸浜海水浴場です。平日のお昼頃、お盆休みのさいちゅうだからか、駐車場はほぼ満杯(無料)。
 

瀬戸浜2

 例年、家族連れが多く、ゆったり気分を満喫できます。

瀬戸浜1



 次に向かったのは、南千倉海水浴場です。
こちらも、駐車場は、ほぼ満杯(無料)。
 瀬戸浜海水浴場と遊泳禁止ゾーンを挟んで浜続きです。浜に流れ込む排水路をせき止めてありました。
 砂浜の広さも大きめです。こちらも家族連れが多いです。

 私の住む集落のお年寄りの話では、隣接する今は「千倉自動車学校」となっている場所では、昔は競馬大会が催されて、地元の人の楽しみだったそうです。浜も、もっと広くて、とてもきれいだったそうです。


南千倉2


南千倉

 両海水浴場とも、パラソル、ボード、サマーベッドとも、1日2000円前後のようです。
 両海水浴場の間にある、海岸通り沿いの「コメリ」などで購入もできます。荷物になりますが、買ったほうがお得かも。
 どちらも、トイレ、シャワー(水)の施設があります。もちろん無料です。


南千倉3

「つつがむし」 に注意を2016年07月08日

 先日、山でのヒメハルゼミの大合唱を知人たちと楽しんだおり、4年ほど前に私がツツガムシに噛まれた話になりました。
 夏は山に遊びに行ったりする機会も増えるので、注意喚起のために、WEB雑記でリポートした記事を再掲します。(一部編集を加えてあります。)

 年末の山形県羽黒山での行事に、超巨大化したツツガムシ(人が作った藁製)を燃やして悪霊をやっつける、というのがあります。昔から、ツツガムシは人にとって恐ろしいものだったんですね。

 この虫は、山だけでなく、河原、畑、草地にもいるそうで、農家の女性が畑仕事中にタチションするのも、噛まれないようにするためと聞いたことがあります。
 もっともこの情景を私は見たことはりませんが、友人のおばあちゃんは、実行していたそうです。

 成田闘争のとき、農家のおばちゃんたちは、対峙した機動隊に向かい、「おまえらは、ここで、こういうことができるか!」と言って、全員でタチションをしたそうです。

 この虫は、人にくっついてから、数時間の間は一番噛みつきがいがある場所を探し回るのだそうです。

 昔は、裸にして、噛みついたツツガムシを見つけたら小刀でその部分をえぐり出したということです。あーっ、昔に生まれないでよかったー!
 

 ですので、山などから帰ったらすぐに、着ているものをすべて脱ぎ捨てて即洗濯。風呂に入って全身をきれいに洗い流すのがいいです。私は、あのとき以来、頭は洗い流しやすいように坊主にしています。
 また、半ズボン、半袖は厳禁です。長ズボン、長袖が必須です。



(WEB雑記 2012年 より)--------------------------

 今月初め、近くの山でツツガムシに噛みつかれたようです。0.2ミリほどの小さなダニの一種で、噛みつくのはその幼虫とか。成虫になるまえに動物に吸い付き養分を摂取、そのさい病原体を移すようです。

 今から思えば、噛まれてからは40度近い高熱が数日続き、体にじんましんのような斑点が現れはじめます。
 これを見て、ただの風邪でない、と気づきすぐ医者にいきました。
 即、病名をつげられ、点滴(生まれて初めて)。帰りに特効薬のミノマイシンを処方してもらい、7日間、1日2回の連続投与。併用した薬のせいか、大量の汗をかきますが、3週間ほどで、もとの体調に回復。

 病原体をもつツツガムシは全体の0.1%から2%ほどと、比率はかなり低いようで、周りから、宝くじを買うべきでしたね、と言われました。
 また、病原体をもつやつは、その子供(メスのみ)ももつようです。病原体をもつツツガムシの生息ゾーンのような場所があるということでしょうか。

 当地域での活動期間は12月くらいまでらしいですが、私は当分山には入らないでしょう。草地や畑にもいるらしいですが。
 いろいろサイトを眺めていたら、発症するのは、60代から70歳代はじめと書いてありました!10歳くらいは肉体年齢は若いと思っていたのに。かなりショック。
 特効薬のなかった時代の死亡率はかなり高かったようで、この虫は恐怖の的であったようです。

 気が引けましたが、わが肉体上に現れた斑点の写真と特効薬ミノマイシンの写真を載せました。
 なお、卑猥と思われる部分にはモザイクをかけ、カットもしてありますので安心してご覧ください。

発疹


ミノマイシン
-------------------------------------

千倉の「ひめはるぜみ」2016年07月04日

 2011年のホームページ、WEB雑記のレポートより、



 今週まだ生きているヒメハルゼミが持ち込まれた。写真を撮ってほしいとの依頼。
 もう秋がはじまろうというのに、まだ活動してるのだろうか。

 昨年初夏というか梅雨の終わりのころ、探検隊基地の玄関にいたのを見たことがある。
 例年、山全体が鳴くようになり、梅雨の終わりを告げる。
 何匹が鳴いてるかわからないが、感じとしては何万匹もが一斉に鳴いてる感じ。
 写真を撮ったのは初めて。ちなみにこれはメスのようだ。産卵管がある。
 隣のじいさまが、鳴いてるときに手をたたくとピタッと山全体で鳴き止むというので、やってみたことがあるが、鳴き止まなかった。

---------------------------------

現在は2016年7月ですが、ここ2年ほど、この蝉が増えてきているきがします。3年ほど前までは、向かいの山が唸ってるだけでしたが、去年から、その声の量が増えてる気がしていたら、今年は、裏の山からも聞こえます。単に生息域が移動してる可能性もあるのですが。

 鳴き始めの時期は、数年前までは、梅雨の末期、もう夏が始まりますよ、というお知らせでしたが、今年などは、6月中旬には鳴き始めていました。あきらかに、早くなっています。

 昨日夕方、隣の集落の移住組友人が、この蝉の大合唱を聴きに来ました。
友人宅とは直線距離で1キロも離れていませんが、まったく聞こえないそうです。独断ですが、100メートル離れてもおそらく聞こえないと思います。
 合唱の声が最大になるのは、夕方6時から7時ころです。山に近づくとかなりの音量で迫力があるのですが、蚊にさされるので、窓をあけはなって部屋の中で。

 前回レポートの梅シロップに3年もののビワ酒を加えて、ちびちびしながら、ヒメハルゼミの合唱を聴き楽しい時間でした。
 

梅シロップ -完-2016年06月29日

-前回の続きです。

 結局、梅の実を取りだしたのは、漬けてから約2週間後でした。
 梅酒瓶から取り出した梅の実は、シワシワで小さくなっている。おいしそうにも思えないので捨てました。

しわしわになった梅の実

 加熱殺菌は、80度で5分ということなので、ホウロウの鍋の周りに細かい泡が出始めて5分。超弱火です。その間に、浮いてくる不純物のようなものを茶こしで掬い取ります。沸騰しないように注意しながら。

加熱殺菌

 殺菌したあとは、水で冷やします。
また、なるべく口当たりをまろやかにしたいので、コーヒーフィルターで漉すことにしました。
ただ、そのままだとシロップがぽとん、ぽとんとしか落下しません。2リットル漉すのに一日かかりそうな気配。
 当然待ちきれないので、フィルターに針で30個ほど穴をあけました。漉す効果が減少しますが、そのへんは妥協ということで。

 ここで、味比べ。
漉す前と、後での比較です。
原液のままスプーンでなめましたが、正直、違いはわかりませんでした。

コーヒーフィルターでろ過

 漉し終わったシロップはサイダー、スポーツドリンクの空きボトルに。

できあがったシロップの量は、予想外の4リットル以上でした。
しかし、梅の実4キロから、なんで4リットル以上の抽出液がでてくるのでしょう?
途中で水は一滴も加えてないし、グラニュー糖の水分量はコンマ以下です。
梅の実の重量の測り間違えとしか思えません。

完成

 左の少し色の薄いほうが二瓶め、右の少し色の薄いほうが一瓶めです。
一瓶めは、じつは、梅の実の「へた」を取り除いてないものです。色もうすいピンク茶色です。味も、ちょっと舌に残る感じがしますが、これはこれで美味です。
一瓶めの色は、きれいな琥珀色というか、べっこう飴色です。味もこころなしか上品です。

 実際に飲むときは、いろいろ試した結果、5倍ほどに水でうすめるのがいいと思います。
氷を入れるときは4倍ほどがいいです。
 なにしろ砂糖の濃度がはんぱでないですから。
 試してませんが、炭酸水で薄めてもおいしそうです。

比較


梅シロップ -1-2016年06月10日


 
 流れ流され、10年前当地に居ついた時、すでにこの梅の木はありました。
どういうわけか、幹の部分に穴があいてるし、根も地上に露出してるし。
観察していると、それでも、1年おきに10キロほどの実をつけます。
 数年前にこの実で梅酒を作ったことがありますが、今年は、末っ子からのリクエストで「梅シロップ」を作ることになりました。


 用意するものは、梅の実4キロ、グラニュー糖4キロ、保存瓶(8リットル)です。
瓶は家にあるものを使い、グラニュー糖は館山のOWARIYAで1キロ200円くらい。当地、千倉町は館山の経済圏に入っています。

 ここで、獲らぬ狸の皮算用、梅4キロ砂糖4キロからできる「梅シロップ」の量は?

 ネットで調べると、3リットルから4リットルとある。でも4リットルはありえないよなー。ほぼ100%、梅の実果汁を抽出は無理だろーと思う。たぶん、溶けた砂糖水と梅の実との浸透圧作用で抽出するはず。まあ、よくて3リットル、2.5リットルくらいと思うが。二瓶作る予定なので計5リットルかな。


 さあ、作業開始。

 採った梅の実を水洗いを兼ねて流水にさらします。マニュアルによると、流水にさらすのは、アクをとるためのようです。これを3時間ほど。

 さらした梅の実をザルにあげ、乾かします。


 乾かしてる間に、瓶の殺菌をします。焼酎もしくはアルコールで内部を拭くのが一般的らしいのですが、両方ともなかったので、写真のように蒸気で殺菌しました。


 グラニュー糖、梅の実、グラニュー糖、梅の実という順番で瓶に詰めていきます。


 この写真は、3日目の状態です。
一日数回瓶をゆすり、かきまぜています。
いつまで待てばいいのでしょうか。
ネットからの情報では、1週間~1ヶ月とあります。
ずいぶん幅があるなー。


 できあがりの目安は、抽出液が琥珀色、梅の実がシワシワになったときのようです。
梅の実を取りだした抽出液を、炭酸水とか水で4~5倍に薄めて飲みます。

 この抽出液を沸騰させないように80度ほどで、加熱殺菌すると、冷蔵庫で1年くらい保存できるそうです。
加熱殺菌をしないほうが、味がいいという情報もあります。
 加熱と加熱なしでの味比べをする予定です。後日レポートします。

 また、漬ける梅の実に切れ目を入れたり、串で挿して穴を開けた方がいい、という情報もあります。ただ、私の嫌いな苦みが増える可能性もありそうなので、今回はなにもせずに漬けました。
 梅の実を冷凍してから使うと、抽出時間が短縮できるらしいのですが、これも苦みが増す可能性があるので、冷凍せずにそのまま使いました。  -続く-

たまむし色2016年05月10日

 2016年4月、倉庫も兼ねる温室の扉をあけると、ばさばさと音をたてているトンボを見つけました。
 たまむし色に光るトンボです。
 入ったまま出られずにいて、かなり弱っていました。簡単に捕まえることができました。


 人生で初めて見るトンボです。
小さい頃は、近くに用水池のようなのがあり、むぎわら、しおから、名前がわからないイトトンボ、おにやんま、ぎんやんまが飛んでいるのをみることができました。イトトンボや大きなトンボは数が少なく貴重でした。


この池は一辺6~7mくらいで、中央に島のようにコンクリート柱2本くらいが頭をだしていました。小学高学年だったおじは、この池に落ちて大騒ぎになったことがありました。
 駄菓子屋で「水爆」という、水の中でも消えない「2B」を投げ込んで遊んだのもこの池でした。

また、家の近くに、コンクリートを敷いたような広場があり、わたしたちガキのたまり場でした。両方とも、戦時中の陸軍の施設だったものと思われます。
 このあたりで地中の焼夷弾を見つけたこともあります。
 大人の背の高さくらいの鉄の棒をあたりかまわず地中に挿しながら歩いてる人がいました。たぶん、不発弾など金属を見つけて売るためだったと思います。

ついでに、当時は水洗トイレなどというものは一般家庭にはなく、「おわんや」と呼んでいた人が、便壷からくみ取って樽に入れ、それを天秤棒でかついで歩いていました。私たちガキどもは、どこに運んでいくのか知りたくて、あとをくっついていったものです。

もうひとつ、赤坂のTBSができたばかしのころ、どういうルートでの情報なのか、TBSのゴミ箱に映画のフィルムが捨ててあるという。歩いて30分ほどだったと思うが、見事ゴミ箱から捨てられたフィルムをゲットしました。

 このあたりは、大きなお屋敷があるとこで、ある日、竹でっぽうに最適な竹があるとの情報。わたしたちガキ連中は、大将のゆきおちゃんについていきました。垣根の下から潜り込んで竹林からみごと、もうしぶんのない竹を必要なだけ持って帰りました。

 この竹でっぽうの玉としては、ヤツデの実がよく、近所の家のをむしりとってポケットに満杯に入れて走りまわりました。

青山墓地では、戦争ごっこです。敵は学区がちがう隣町の連中だったような記憶。
ふだんはつきあいがないので、きっと、隣町との境あたりに住んでる仲間がセッティングしたはずです。あそこは赤土が多くて、これのブロックが爆弾代わりで、墓石に正面から当たると、ボコッと音がして砕けます。墓石は、盾の代わりです。
 しかし、本当の敵は「たぬきおやじ」と呼んでる近くのお寺のおじさんでした。見つかるとたいへんなことになるとのことでした。見たことも、見つかった記憶もありませんが。

 上空のセスナ機から、大量の広告ビラが撒かれます。ビラが落ちるあたりの見当をつけてわれわれガキはいっせいに走り出します。かなり楽しい遊びでした。ビラを見つけたのが青山墓地だったことがあります。

そのほか、弁慶橋でのザリガニ釣り、市ヶ谷の釣り堀から台風で魚が逃げたとの情報で捕まえに行ったこと。乃木坂の向こうの幼稚園に通うとき、乃木神社のとこで、車に轢かれないように、すれすれで走って道路を渡るとか。このときは、神社の前の交番に親が呼び出しを受けました。この縁で、私の結婚式場は乃木神社でした。

小学校時代、同級生の女の子がもってきた、金平糖の形の草の実。投げるとセーターにくっつくやつです。これを投げ合って、たくさんくっついたほうが負けという遊びがはやりました。クラスは50人くらいでしたが、この金平糖がある場所を知っているのは彼女だけ。この弾はすべて彼女が供給してたのです。これが欲しくて欲しくて、話したこともない彼女に近づき、その場所に案内してもらいました。広い原っぱの道際にあるのを見たときのうれしさは今でもおぼえています。青山北町です。

キツネノボタン1

 千倉の田んぼの畦にある、「キツネノボタン」です。投げつけて遊んだ「金平糖」ではありません。似ているので、つい写真を撮ってしまいました。花には光沢があり、けっこう惹かれます。
 投げて遊んだ「金平糖」の名は、ネットで調べてわかりました。「オナモミ」です。

キツネノボタン3

 小さいときを今思い出して楽しいことは、やっぱり家のなかでなく、友達との外での遊びですね。

 これらは小学生までの経験(港区)で、中学生のころは、秋、下校の時、赤とんぼの集団を目撃してます。多摩地区、当時の国分寺町です。
 ちなみに、当時の住所、「東京都北多摩郡国分寺町野中新田六左衛門組高木北側」というのは、当時日本で一番長い住所名でした。小学6年の時に引っ越してきたときは、あたりいちめん麦畑でした。
 ちょうど今頃の季節、上空高いとこで、ピーチクパーチクとヒバリの声がします。「すかいらーく1号店」は国分寺市にあると聞いてます。

 この頃から、トンボには好感をもっていて、今もトンボは好きです。ただ、ぱたぱた飛ぶ種類はだめで、すいすい飛ぶのがいいです。
 さっきも、外を歩いていたら私の頭に瞬間停まってから、周りをぐるぐる回って完全に遊ばれてしまいました。

 当地千倉では、今も、イトトンボ、大型トンボもよく見ます。もちろん中型もです。
当地に建設予定だった巨大ゴミ処理施設が、本年春、計画中止となりました。
 これで、人間もトンボたちも以前と変わらぬ空気を吸うことができます。集落内を貫通するグリーンラインでの休日のバリバリバイクなど、可愛いものです。

 当地での田植えは、ほぼ終わったようです。この季節、山が緑の錦となり、とてもいいものです。目にやさしい気がします。

千倉大貫

 以前にもレポートした「タマムシ」。朝、外に置いてある洗濯機の上にいました。同じ玉虫色ということで。


 まったく役にたたないリポートですが、「遺言代わりの雑記帳」ということで。

注連飾りの自作2015年12月28日

 2015年12月27日、同じ千倉への移住組の友人からお誘いの電話がありました。
「今年も注連飾りを作るので一緒に作ろう。材料も用意してあるから。」とのこと。
それなら楽チンそうだと思い友人宅へ。

 生まれて初めての注連飾りの自作でしたが、できあがった形が、横綱土俵入りの化粧回しに似てるなーと思いました。
 材料はほとんど稲わらです。ネット情報によると麻でも作ったそうです。
 3本の縄を作り、撚り合わせて1本の縄にすればほとんど完成です。稲わら1本はすぐに折れたり切れたりしますが、撚り合わせることで不思議なことに何倍もの力を生じます。
 この不思議な力が、注連縄、注連飾りの根本だと思います。

 約2時間ほどで完成。これに神様と人間界の境をあらわすヒラヒラと縁起物をくっつけます。


 友人宅へはスクーターできたので、自宅までどうやって持って帰ろうか?
ダイダイは針金で固定したので、ほかの縁起物をはずして背中にしょって帰る事にしました。
 恥と外聞は20年ほど前に捨て去っているので(ほとんど)、背中にしょってスクーター走らせても問題ありません。
 それに、この注連飾りは人の形にも似てるので、あの、小悪魔のささやきのような不思議な波長の声色をもつダンミツをおんぶしてると思えば快感さえあります。

余談:人の声の形容で「鈴をころがすような声」というのがありますが、30数年前台北のホテルのロビーの後ろの席の女性の声がそうでした。また、がっかりしたときに「肩を落とす」という形容がありますが、うちの次女は、ほんとうに肩が落ちます。



 29日、331日は避けて設置するように友人に言われているので、今日玄関に付けます。


小字の下は?2015年10月21日

 「東京都北多摩郡国分寺町野中新田六左衛門組高木北側」というのが、少年期住んでいた住所名です。社会科の参考書に日本一長い住所として紹介されていました。
 どこまでが大字で小字なのか分かりませんが、江戸時代中期からの呼称のようです。

 小学6年のときに、港区から引っ越してきたのですが、まわりは一面麦畑と芝畑でした。5月初旬、ひばりが空の高いとこでピーチクパーチク、のどかな地域でした。西の方角を見ると雑木林の横に富士山が大きく見えてました。

 ヒバリは巣に戻るときは、だいぶ離れたとこに着地して用心深く進み、決して巣を見つけられないようにするそうです。府中に住む友人は子供の頃、多摩川の河原でこのヒバリの巣を見つけによく行ったそうです。

 
 広い芝畑は我々の野球グランドには最適で、ホームへの滑り込みなど自由自在。
 ただし、ここは商品用の芝を育成してるわけですから、見つかると大変なことになります。しかし、芝農家のおやじさんの見回りのスケジュールを熟知してるので、めったに見つかることはありません。なにしろ、三塁手のおやじさんですから。

 当地に住み始めてから聞き慣れない言葉を耳にしました。それは、アサヒバタケということばでした。まわりは小高い山に囲まれた場所ですが、ちょうどアサヒバタケと呼ばれる場所は朝日がよく当たります。

 ほかにも、そのような呼び名のつく場所はあるのか尋ねたら、ずいぶんとあるようでした。
これらの通称地名は、小字のなかのごく狭い場所です。
 小字名は、役場の記録にも残るでしょうが、この狭い地域を表す通称名は、今記録しておかないとじきに消滅するだろうと思われます。
 そこで、当集落の人と共同で記録することになった結果がこの俵です。

 「サオ」「ザオ」とかがつく地名がありますが、意味は、山と山の間の低地のようで、「サワ(沢)」と同じと思われます。多くは水田となっています。


 じつは、千倉町役場で数年前に見せてもらったのが、町の北東部を中心に、同じように作られた表でした。しかし、場所の説明が、(タロベーの畑の下)とかなので、その畑の場所を知ってる人にしかわかりません。やっぱり、地図上にその場所を書き込む必要があると感じていました。

 そこで、当地区の通称地名表は地図上にその場所を明記することにしました。

通称名と小字名

 
 今ではこの通称地名を知っているのは当該地区に長く住む年輩の方だけです。
今回作ったのは私の住む地区が主ですが、できれば範囲を広げていきたいと思います。