鉄砲ゆりの栽培 ― 2015年08月07日

 当地、南房総千倉の内陸部では白百合(鉄砲ゆり)が咲きそろっています。
道路横の土手に群生しています。
 あまり花が咲かない真夏の緑のなかに、ひときわその白さが目立ちます。


 同じ集落の知り合いと、この「ゆり」の話をしていたら、昔は集落の何軒かはゆりの栽培をしていて、じぶんの家も栽培していたとのこと。戦前のことらしい。

 今土手に咲いている「ゆり」はその名残なのかな?と尋ねると、どうも今咲いている「白百合」ではないらしい。なんとか特定したいなー、とねばっていると、「そういえば百合のことが書いてあるのがある」というので、裏の建物の壁にかけてある木版の写真を。


 第一号
 黒軸鉄砲百合
 壱反壱畝歩
 五寸木子

 とあり、そのあとに所在地、氏名が記されている。「山にウ」の字は屋号か? 木版に墨で書かれている。

 栽培していたのが「黒軸鉄砲百合」、栽培面積が1反1畝、5寸木子がわからない。
黒軸鉄砲百合は、当地で今咲いているような茎が緑色でなく、茶色っぽいとのこと。
木子というのは、球根の上にできる小さな球根のようなもので、これを新潟方面の業者がもってきて、当地で大きい球根に育てて、またその業者に渡すというシステムだったとのこと。 しかし「5寸」(約15センチ)というのがわかりません。
 栽培の場所は、集落の小高い山に登る途中の畑を使ったそうです。
 しかし、この墨書きの木版は許可証なのか、登録証なのか不明です。

 この栽培収入で、子どもをりっぱに育て上げたという話も聞いたことがあります。
そのほかに、換金作物として水仙、たばこを栽培したとのことです。たばこの乾燥小屋が最近まで数軒ありましたが、今では取り壊されて見ることができません。

 また、鉄パイプ出現前には農業用ハウスの骨組みとしての竹がありました。房州うちわの骨財として、今でも当地の竹は使われています。

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